人の日常は何に支えられるのか

公開日:2024/03/09

更新日:2024/04/04

 

目次 

  1. はじめに
  2. 主人公の日常
  3. 主人公を支えているもの
  4. 心の小さなリセット
  5. カウンセリングとは

 

 

1.はじめに

 

2024年1月に映画『PERFECT DAYS』を観てきました。どのような映画でも賛否両論でてきますが、私にとってはとてもいい映画で印象深い作品でした。今回のブログでは、『PERFECT DAYS』を観て考えたことや感じたことを書いてみたいと思います。

 

タイトルが大きく振りかぶったタイトルになりましたが、映画を観終わってから考えたり浮かんでくることが、「人の日常は何に支えられるのか」といった事を巡るものだったので、それを今回のブログのタイトルにしました。ただ実際には、映画へのごく素朴な個人的感想です。ちょっと長いかもしれませんが、気軽に読んでいただければと思います。

 

なお、今回のブログはいわゆる「ネタばれ」がでてくるので、これから映画を観る予定の方は、その点にご留意いただければと思います。

 

また、今回のブログは映画のあらすじや内容を正確に紹介するものではなく、私が映画を観て感じたことや考えたことを書くことに主眼があります。今回のブログを書くにあたって、映画の細かい事実関係やストーリーの詳細を調べなおすなどの作業はしておりません。

 

あくまで、私が見た映画の記憶から考えたことや感じたことを書いていきます。ですから、幾つかの点で私の記憶違いがあるかもしれませんが、その点はご理解・ご容赦いただければと思います。 

 

2.主人公の日常

 

主人公の平山は50代後半から60代の男性。東京スカイツリーが近くに見える下町的地域のとても古い安アパートに住んでいます。東京スカイツリーという超近代的都会的建造物のすぐそばに昭和感漂う古い安アパート。この対比も何か感じるところがありました。アパートの近所に神社のようなものがあり、朝は神社の周囲を掃除する竹ぼうきの「シュッ、シュッ」という音を聞きながら目を覚まします。

 

そこから、布団をちゃんとたたみ、部屋で育てている小さな植物に霧吹きで水をあげていきます(5から10個ぐらいはあったでしょうか)。その後、歯を磨いて髭をそり、また、たくわえている口ひげをハサミできちんと切りそろえます。

 

その後、仕事用の作業着を着て玄関のドアを開けると必ず最初に空を見上げて、少しうれしそうな、何とも言えない表情をします。格別美しい空…というわけではないのですが、空や雲、それらと太陽が織りなす木漏れ日を見ることが、平山の心や日常を支えているんだろう…という気がします。

 

空を見て、“今日も1日頑張るか・綺麗だな~・また一日が始まる…”など、どんな気持ちが平山に生じているのかはわかりませんが、私にはその行為によって「心の何かが少しリセットされるのではないか…」と感じました。大幅な心のリセットではなく、ほんの少しだけど重要なリセット。

 

新しい1日を迎えるためのルーティン化された、ささやかで大事な作法なのかもしれません。

 

その後、アパートの駐車場においてある自販機で缶コーヒーを買い車に乗り込みます。車には所狭しと仕事用の道具が積んであります。車で一口コーヒーを「あ~」と言いながら飲んだ後、仕事に向けて出発。車の中では、平山がカセットテープにダビングした音楽を聴きながら運転していきます。

 

音楽の種類は私にはよくわかりませんでしたが、レコードやカセットテープを扱っている店員が見たら(聞いたら?)良い意味で驚くような、しぶいラインナップのようです(そういう場面がでてきます)。しかし、カセットテープは最近みかけないですよね。

 

平山は東京都の公園のトイレの清掃員で、自分が担当する幾つかの公園のトイレを掃除しながら回っていきます。掃除はとても丁寧にきちんとキビキビやっていきます。同僚が、“こんな仕事やってられね~よ~”とボヤいたり、多少いいかげんにやるスタッフがいても、引きずられることなく。黙々と手を抜かず仕事をしていきます。時に同僚に、きちんとやるよう促しつつ。

 

お昼は、トイレ清掃のルートの途中に神社のようなものがあるようで、たまにコンビニで買った昼食を手に神社に行き、その境内のベンチで昼食を食べています。平山はカメラが趣味らしく小さなカメラを持ち歩いていて、境内から空・雲・木漏れ日を見ながら、気に入ればその風景を写真に撮ったりしつつ。

 

夕方仕事から帰ったあとは、自転車で銭湯に行き汗を流してお風呂につかります。とても気持ちよさそうに。一日の仕事の汗や疲労を、温かく広々したお風呂に浸かることでやわらげリセットしていく。お風呂も、彼の日常を支えるとても大事なルーティンになっていると感じました。

 

そこから浅草駅の地下道にある居酒屋的な場所(メインは焼きそば屋だったような…)に自転車で移動し簡単な夕食をとります。行きつけのお店のようで、店主のおじさんが明るく「おかえり」と言ってくれる。店主や他のお客さんとの会話はそれ以上は特にないですが、そこには淡く柔らかな交流があります。ちなみに飲み物はレモンサワーのようなものを1杯だけ飲んでいるようにみえました。

 

その後自転車で帰宅し、夜は暗い部屋の中、小さな電気スタンドの明かりだけで文庫本を読みながら床につきます。季節によっては月明かりが部屋を少し明るくしてくれるでしょう。彼は本が好きなようで、小さな部屋には様々な本が置いてありました。その多くは文庫本や新書だったように記憶していますが、よく見ると違うのかもしれません。

 

寝ている時は毎日、夢か幻影のようなものか…何かをみているようです。詳しい説明や語りは一切ありません。ただ、その映像は、平山の生きてきた過去やそれまでの人生が、そう簡単なものではなかったことを連想させるものでした。

 

以上は仕事のある日(いわゆる平日)の過ごし方ですが、休日はそれが多少変わります。

 

休日はコインランドリーに行き仕事着を含めた洗濯物を洗います。その後自分のアパートの部屋もきちんと掃除する。それから写真屋さんに行って頼んでいた写真を受け取り、新しいネガをあずける。写真は昼食時に神社で撮った風景などのようです。現像して出来上がってきた写真の中から気に入った写真をコレクションしていて、もう何十年と続いている趣味のようです。

 

その後、近所の古本屋に行きます。そこで、安くなっている文庫本などがまとめて入っている籠の中を調べて、気になった文庫本があれば買って帰ります。店主の方とも顔見知りのようで、ほんの少しだけそこで会話が生じることがあります。

 

それぐらいでだいたい夕方になります。夕方にいきつけのスナックのようなところに行き、そこで簡単な夕食をとる。そこでは店主のママさんや常連のお客さん達とのゆるやかで温かみを感じる交流があります。「狭くて深い親密さ」ではなく、もう少しゆるやかな繫がりです。

 

そしてまた家に帰って文庫本を読みつつ就寝し平日の朝がやってくる…という日常です。

ちなみに、休日にコインランドリーや古本屋、スナックなどに出かける際の交通手段はすべて自転車です。

 

3.主人公を支えているもの

 

平山の日常は上記のようなとても淡々としたものです。次に、そういった彼の日常を支えているものは何なのだろうか…といった事に関して、私なりに考えたり想像した事を書いてみたいと思います。

 

3-1.ほどよい規則性

 平山の生活は平日・休日とも、だいたい何時頃何をするのか、どこに行くのか、といった事が決められていて、不測の事態が生じなければ、だいたいそのスケジュールに沿って日常が動いていきます。このあたりは、程度の差があるにせよ、多くの方にあてはまるのではないでしょうか。つまり、それなりの規則性や習慣が日常生活のベース・背景にあると言いますか。

 

私を含めた多くの人は、そのような習慣や規則性の持つ意味を特に意識せず毎日を過ごしているのかもしれません。しかし、映画を観ていて、その人にあった「ほどよい規則性・習慣」といったものは、やはり人の日常や心を支えているのではないか…といったことを感じていきました。当たり前と言えば当たり前のことなので、「それを強く再確認させられた」、という言い方もできると思います。

 

それと対比的な事象を想像すると、もう少しわかりやすいかもしれません。例えば、地震や様々な天災、事故や事件に遭遇すると、我々の心身は危機に瀕していきます。その理由の一つは、それまでの「当たり前だった習慣や規則性」が大きく失われ、日常が「揺れてくる」からだと思います。

 

そのように考えると、「ほどよい規則性や習慣」が人の日常や心を支えている、という事の意味が伝わるように思います。もちろん、規則性がガチガチになり過ぎたり、習慣の中身があまりに当人に合ってないと、それは強い生き辛さ、場合によっては精神的な失調を生じさせる場合もあります。ですので「ほどよい」といった形容詞をつけました。

 

3-2.身だしなみを整える

 これも多くの方が、日々何とはなしにやっている事かもしれませんが、身だしなみを整えたり、定期的に部屋の掃除をしたり…といった営みも「ほどよい日常」を保つのに大事なんだな~と感じました。

 

例えば平山は朝起きると、まず最初に布団を必ず上げます。畳に敷きっぱなしにしない。敷きっぱなしにしても誰かから咎められるわけではないと思いますが。

 

どうしてかはわからないのですが、私にはこのシーンがすごく印象に残りました。このシーンを見た時に、“あ、そうだよな、こういうのって、小さい事だけど大事だよな…これができているうちは大丈夫だよな”といった連想がわいてきました。

 

役所広司さんの目を覚まして上体を起こしてから布団をあげる、という演技の所作があまりに自然で完璧だったからかもしれません。まるで、それをするのが当然で当たり前であるかのようでした。

 

そして、平山はたくわえてる髭を毎朝少しだけ切りそろえます。他者(特定の誰か、あるいは、世間といった不特定の集団)の視線や評価を強く気にするが故の行為ではないように感じました。つまり、「誰かの評価や視線」を格別意識しているわけではいですが、髭を毎朝少しだけ切りそろえる。

 

また、仕事後は銭湯に行って体を洗い風呂に浸かる。週末に、仕事着等を綺麗にするためにコインランドリーに行く。定期的に部屋の掃除もする。こういった、広義の「身だしなみを整える」といった営みもとても地味なものではありますが、主人公の日常や心を支える行動のように感じました。

 

3-3.ゆるやかな対人交流

 例えば人気のテレビ番組『きのう何食べた』と比較するとわかりやすいですが、『きのう何食べた』では一緒に生活を共にするパートナーや「親密で距離の近い他者」との交流が描かれています。それに比べると、平山の対人交流はとてもゆるやかで淡いものです。

 

日常生活に「親密で近い他者」はでてこない。けれども、週末のスナックでのママさんや常連さんとのゆるやかな交流。平日に夕食を食べに行っている店主のおじさんとのちょっとした挨拶。一緒に仕事をする同僚(時に迷惑をかけられるわけですが)や古本屋の店主との交流…といったぐあいに、ゆるやかな対人交流が平山の周りにはあります。

 

これも平山の日常を支えているように思いました。もちろん、そのような距離感の対人交流を平山が実際にどう感じているのかはわかりません。映画の中で、平山が実家の父(他界の時期が近いように感じるシーンがありました)ともう長い期間会っていない事、折り合いが上手くいってないことを表すシーンがでてきます。平山が抱えてきた親や家族との葛藤やしんどさが軽いものではない…といった想像が浮かんできました。

 

そのような平山は、様々な経緯や葛藤から、親密な対人交流を避けざるをえないのかもしれません。深い孤独を抱えていて、ゆるやかで淡い交流だけでは、実はしんどいのかもしれません。

 

このあたりは色々な想像がでてきます。ただ、たとえそうであったとしても、映画の中で描かれていた他者との、「少し距離のある対人交流、踏み込まず踏み込まれず、けど温かみを感じる対人交流」は平山にとって大事なもののように感じました。

 

このあたりは、視野を大きく抽象化すれば、人は「どういった密度の対人交流」が必要なのか…といった問いにも繋がっていきます。ここはかなり個人差もでてくるところですし話が難しい方向にいくので今回のブログでは触れません。ただ、平山にとって「淡い交流」は、彼の心や日常を支える大切なものになっているように感じました。

 

4.心の小さなリセット

 

上記に平山の日常を支えている3つのものを書いてみました。ここでは、それらを別の観点から考えたいと思います。結論から言いますと、平山の日々のささやかな営みは「心の小さなリセット」になっているのではないか、という事です。

 

「毎朝出勤前に玄関を開け空を見る。そこにある空や木漏れ日をほんの一瞬、けれどじっくり眺める。出勤前の車での缶コーヒーの一口。行き帰りの車中での音楽。たまに寄る神社でお昼を食べながら眺める木々や木漏れ日。仕事後の銭湯とささやかな夕食。休日のコインランドリーでの洗濯や、行きつけのスナックでのゆるやかな人との関り…」

 

そういった毎日の小さな営みは、平山の心の小さなリセットになっているような気がしました。

 

我々は日々、様々な悩みやしんどさを抱えながら生きています。とても強くハードなものから、それとは気づかないけど実は負担になっているような種類のものまで。内容も程度も色々です。強い悩みにはその人の生きてきた歴史全体が関わっていることもあります。

 

この映画には、平山がどんな人生を生きてきたのか、実家との関係はどんなものなのか。今どんな悩みやしんどさを抱えているのか…といったことに関する説明や語りはほとんどでてきません。ですが、先にも少し触れましたが、平山の日常やこれまでの人生は決して楽なものではなかっただろうと想像します。

 

そのような楽ではない人生や日常の中で、自分の心のバランスを維持し護っていくために、平山は上記にあげたような行動を通して、心身の疲れやしんどさを、ほんの少しだけリセットしているのではないか…そんな連想がわいてきました。「ほんの少しのリセット」というのは、言い方を変えれば、「心を少し再生させる」という事です。疲れたり、傷んだりしている心の部分を「少しだけ取り戻す」という言い方もできるでしょうか。

 

平山がそういった事を意識して行っているとは思いません。ただ、私から見ると平山の様々な営みは、固い言葉を使えばそのような「機能・意味」を持っているのではないか、と感じました。

 

5.カウンセリングとは

 

平山に限らず私達は様々な営為によって日々「心の小さなリセット」をしているのだと思います。音楽を聴いたりテレビを観たり散歩をしたり。あるいは様々な対人交流を通してなど、その人なりのやり方で。そしてその多くは特に、それとは気づかずになされていく行動が多いように思います。

 

ひるがえって、当オフィスで行っているカウンセリングは、そのような「心のリセット・心の再生」といった営みを、より意識的・能動的に行っている、という事になるのだと思います。定期的にカウンセリングに取り組み、そこに時間や労力をかけていく。自分自身の生き辛さやしんどさを見つめたり、生きてきた歴史を振り返ってみたり、どんなふうに悩みに対処していくかを考えたり…。

 

『PERFECT DAYS』を観て、浮かんだことや考えたことを書いてみました。

 

平山の人生も我々の人生もそうだと思うのですが、どんなに習慣や規則性によって日常を保っていても、人生には時に大なり小なり「不測の事態」が生じます。 病気だったり事故だったり天災だったり…。もちろん、ポジティブなサプライズもあるでしょう。

 

そんなふうに淡々とした変わりばえのしない日常と不意に訪れる何らかの出来事。それらが折り合わされながら私達の日常や人生はすすんでいくのかな~、といった連想もわいてきました。

 

映画を観ながら最後の方、私は、主人公の平山が、ままならない日常や人生を、どうにかそれなりにおくっていって欲しいな~、といった祈りに近い気持ちを抱いていました。

 

また、この映画に登場する人物の多くは、人に言えない悲しみや上手くいかなさ、悔しさややり切れなさを抱きながら日常を生きているように感じられました。

 

このあたりの感情移入のあり方や強さは、私の個人的な生育歴などが関係しているのかもしれません。

 

映画という視覚的な情報から考えたことを文字情報にして、どれだけ読者の皆さんに伝わるか不安もありますが、私なりに感想を書いてみました。

 

百聞は一見に如かず。機会があれば、あるいはこのブログを読んで関心を持たれた方は、ぜひ映画を観てみてください。