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健全なあきらめについて

公開日:2017/06/12

更新日:2021/07/02

 

目次 

  1. 理想と現実とのギャップ
  2. 努力の生産的な側面
  3. 健全にあきらめること
  4. カウンセリングで大事にしていること 

 

 

1.理想と現実とのギャップ

 

2017年6月にブログのテーマを募集したことがありました。今回の記事は、その時いただいたテーマについて書いたものを加筆修正したものです。

 

テーマは「自分に対して“こうありたい”という希望と実際とのギャップをどうとらえていけばよいか」ということでした。これは、言い換えると、自分に対する「理想と現実とのギャップ」をどう考えるか、という事だと思います。

 

様々な観点からの考察が可能ですが、今回はカウンセリング、カウンセラーの観点から、自分に「こうありたい‥」という希望や理想が生じ、それに向かって努力することの生産的な面と非生産的な面などについて述べてみたいと思います。

 

2.努力の生産的な側面

 

これは若い頃の方がより強く生じやすい心の動きかもしれません。身近にいる同級生、先輩などをみたり、テレビや本を通じて「こういう人になりたい」「この人のこういう部分をとり入れたい‥」と思って、それに向かって努力をしていく。これは、人が様々な面で成長していくにはとても大事なプロセスだと思います。

 

私自身も、そういったプロセスを多少なりとも体験してきましたし、今でもゆるやかにそういった作業をしている面もあります。当然ですが、カウンセラーとして少しずつでも成長していく必要があります。

 

また、うろ覚えで恐縮ですが、たしか将棋の羽生さんが、「何かに挑戦し努力して確実に報われるのであれば誰でもそうする。努力が報われるかわからないところで、努力し続けられることこそ大事なんだ」といった趣旨の発言をしていたように思います(正確でなくてすみません)。

 

これは本当にそう思います。必死に努力すれば自分の望む結果が確実にえられるなら皆そうするでしょうが、そうならない可能性を認識しつつ、また実際にそうならない事があっても、そうした努力を続けることはその人の人生を豊かなものにしていくと思います。

 

 

3.健全にあきらめること

 

一方、現実的に考えて、「どれだけ努力しても~のようにはなれない,~はできない」といった事があるのも事実です。ありていに言えば「どれだけ努力してもかなわないものもある」ということでしょうか。

 

この、どう頑張っても、努力しても理想のようにはなれない‥といった部分は、人それぞれあるように思います。そういった「努力ではどうにもならない領域」を、無理に努力して変えようとしたり「努力が足りない」と自分を責めたり、あるいは周囲が当人を責めたりするのは、お勧めできません。

 

「努力至上主義」はいきすぎると、不健全な自己責任や精神的な病状を生む恐れもあります。そういった時に必要なのは、いわゆる「健全なあきらめ」という発想なんだと思います。よく言われる事ですが、「あきらめる」というのは否定的な事ではなく、「明らかに見極める」という事だそうです。

 

ここで少し私自身の話をしたいと思います。私は男性としてはかなり細い体型をしています。そして自分の体型に子供の頃から今でもコンプレックスをもっています。そういった事もあったのか、小学校3,4年生頃までは「プロレスラーになって強くなるんだ」と思っていました。

 

さすがにプロレスラーへの夢はほどなく消えましたが、思春期以降もコンプレックスは強く、いわゆる「男なのに‥」という事でけっこう悩み「もっとたくましくなりたい」と思って、色々な努力をその時々でしてみました。

 

ですが、やはりどうやっても太れないんですね。で、ある時“これはもう私には無理なんだ‥そういう体質・性質なんだ‥過剰に努力するのはやめよう”と思い、それ以降自分なりの運動はしていますが、「太ろう・体を大きくしよう」とする事に特化した努力はしなくなりました。

 

もちろん「もっと適切な努力をすれば大きくなれた・努力不足だ」という方もおられるかもしれませんし、実際にそういう面もあるかもしれません。ただ、「総じて」自分の判断は正しかったように思います。もし無理に“体を大きくしよう・せねば‥”と思って、ストイックに自分を追い込んでいったら、精神的にしんどい状態になっていたでしょう。

 

これは自分にとっては「健全な明らめ」だったように思います。もちろん、それで自分の体型へのコンプレックスがゼロになる事はありません。ただ、多少なりともマイルドになったように思います。

 

4.カウンセリングで大事にしていること

 

カウンセリングではクライエント(以下、Cl)さんが、さまざまな悩みや生きづらさをもって来室されます。その際の一つの観点が、「この悩みや生きづらさ」は何らかの努力やトレーニングで変化しうるものなのか、変化しうるならどうすればいいか、変化しづらいとすればどうしていくか、といった判断・見極めになります。

 

もちろんこれは難しい問題なのでこれ以上はふみこめないのですが。読者の皆さんがそのような視点を日常生活の中で意識してみると、何らかの気づきや変化に繋がるかもしれません。